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 小学生や中学生が受ける国語の試験問題や練習問題を見る機会が多少あります。

 私は学校図書館の司書という仕事をしています。ですから、学校で勉強しているみなさんがふだんの日常でどんな文章を読んでいるか(または読まされているか)を知ることで、どんな本をこれからそろえていくか?という参考・目安にするわけです。

 そこでは、小説の文章を素材に問題が出題されたり、いわゆる「論文」を抜粋して出題されたりしています。

 大人の眼から見ると「こんな分かりやすい文章ないよなぁ」とか思ったりするわけですが(苦笑)、いざ試験・テストを受ける当事者の子どもたちにとってみると、実は良く分からない、理解できない文章だな~ということになる。小説でもそうだし、論文でもそうです。

 どうしてこんなことが起こっちゃうんでしょうか。たぶん、問題を作っている人が、ことさらに分かりにくい難解な文章を選んでいるわけではないはずなのです。

 では、「なぜ分かりにくいと感じるのか」についてちょっと考えてみます。

 大人が小説や論文を読むとき、無意識にやっていることがあります。

 それはつまりどんなことかというと、自分が持っている知識・教養や人生経験・常識との突き合わせ・照らし合わせです。
 自分の中の「軸」といってもいい。

 この「軸」と、今読んでいる文章の内容とのあいだの近さ・遠さをはかることで、大人は心を動かしたり動かさなかったりする。

 あるいは論文を読んでいるとき、大人はその文章の意見に対して「反対」と思うか、
「賛成」と思うか、「一部賛成一部反対」と思うかということを、自分の「軸」を基準にして判断している。

 難しいですか? つまり、「こんなふうに感じたり思ったりする自分」がしっかりあるかどうかってこと。

 大人にとっては、どんな文章に出会っても、一度はなにかしら感じたり考えたりしたことだから、ちゃんと「自分のものの感じ方・考え方」ってものが、すでに出来上がってる。だから、心の中からリアクションがちゃんと起こる。そのリアクションがあるから、文章の中身もちゃんと理解出来ることになるわけです。

 でも、基準になる軸が自分の中に何もなければ、どんな名文を読んだとしても、心の中からはなんの反応もリアクションも起こらない

 これが、「国語が難しい」って思っているみなさんにとっての、まさに「今」の状態じゃないかな?って思うわけです。「軸」がないから、感動も反発も賛成も反対も、なにもわいてこない。

 じゃあ、どうやったら、「軸」が出来るんでしょう? それは……

 …………感動すること

 涙が出るくらいの感動とか、腹の底から笑い転げる感動とか、すごいことを知った、分かった!という感動とか、とにかくあらゆる多種多様・種々雑多な感動の経験を積み重ねること。

 もちろんもっと考えればほかにいろいろ方法はあるんだろうと思うけれど、今思いつく、
そして誰でもかんたんに実行できることって、やっぱりこれかなと思います。

 いい本を読むこと、いい映画・いい舞台を観ること、スポーツを見たりやったりすること、感動できるネタは今の世の中どこにでもたくさんあります。そうした感動を沢山経験することで、いつの間にか自分の「軸」は必ず出来てくるはずです。
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2013.02.15 Fri l 図書館 l COM(0) TB(0) l top ▲

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