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 もう亡くなりましたが、私の母方の祖父が存命のころ、酒に酔ってだったと思いますが、中学生の私にこんなことを言ったことがあります。

 「頼むから、部落のもんだけは嫁にもらってくれるなよ」
 私はあまりに無茶苦茶なこの言い草に驚き、とっさの返答が何も出てきませんでした。

 既にそういう差別の問題は「良くないことだ」という意識はちゃんと持っていましたし、「大人は子どもの手本になるべきだ」という素朴な考えもまだ自分の中にあったころでしたから、酔った上での言葉とは言え、そんな言葉を平気で吐く祖父が、心底情けなく感じました。

 今振り返れば、祖父には「差別している」という意識さえもなかったでしょう。

 昔ながらの「常識」にしたがって、孫の私に忠告しただけだったかもしれません(まことに余計なお世話ですが)。少なくとも孫を可愛がってくれた祖父であったことは間違いないし、その点では感謝していますが、あの無神経な言葉だけはどうしても許すことが出来ませんでした。


 私は小学校の頃からどちらかというと「いじめられっ子」の方でしたから、クラスの中では「少数派」でした。

 だいたい「いじめ」という行為そのものが、少数のいじめられっ子を作って攻撃する事で仲間意識を確認するっていう、たいへん陰湿でいじましいやり方ですから、いじめられっ子たちは必ず「少数派」になるのです。

 私が、過去や現在、差別されたり偏見の眼を向けられたりしている「少数派」に感情移入してしまうのは、おそらくそういう体験があるせいでしょう。

 「自分は疑いもなく多数派だ!」と思えたことが、私の人生ではほとんどないのです。

 被差別部落の人たちだったり、公害病の被害者たちだったり、セクシュアル・マイノリティの人たちだったり……まるで獲物を探しているように、多数派は攻撃目標を虎視眈々と探している……そんな気さえしてきます。

 私ももう44歳ですし、学校という現場で働かせてもらっていることもあります。ですから、差別語狩りというようなつまらないことではなく、明らかな偏見による差別的な言動を放っておかないことにしたのです。

 そうしないと、「少数派」であることを自認している私は生きにくくてしようがない。息苦しいのです。差別的言動を近くで聴いているだけで不快で、胸がむかむかしてくるほどです。

 被差別部落の人びとは、自分の意思ではどうにもならない「生まれ」によって差別されてきました。
 公害病の被害者たちは、たまたま煤煙や排水が垂れ流された町に住んでいたがために、かかる必要のなかった病気に苦しみ、いわれない差別を受けて来ました。薬害エイズや薬害肝炎の被害者たちだってそうです。
 セクシュアル・マイノリティの人びとは、たまたま多数派と異なる性意識が「いわゆる伝統的な常識」と衝突するために、差別を受けつづけて来たのです。
 その他、差別されてきた歴史を持つ「少数派」の人びとの種類を勉強しはじめたら、おそらく切りがないでしょう。

 最近では、原発事故の被害者たちも、無知な人たちによって差別される例があるようですね。

 知らないのだったら、知って下さい。知らないまま、差別と分からないまま聴くに堪えない言葉を吐くくらいなら、せめて口をつぐんでいてほしい、と切に思います。

(筆者註:こういうことを書くとすぐ、『言論弾圧だ!』と吹きあがる人もいるのですが、当然のことながら曲解以外のなにものでもありません)

 決してスケールの大きすぎる話ではありません。あなたのごく身近に、差別の種はころがっていて、無知によってかんたんに芽を出してしまうのです。
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2011.09.14 Wed l 図書館 l COM(0) TB(0) l top ▲

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